散らかっていても美しいということ
先日、祖父に譲ってもらったフィルム一眼レフを手に、家の中のものを撮ってまわり、そのまま現像してきました。
80代の祖母の机です。
オッ!今日も散らかってるなー!と思ってシャッターを切りました笑
私の祖母は戦争経験者で高齢ということもあり、物が捨てられない人です。
使っていない鏡台、もう着ない服、誰も泊まりに来ないのに何組もお客さん用の布団があったり。
ドがつくミニマリズムに燃えていた時期は、それこそ発狂しそうでした。
でも優しい祖父母に「いらないでしょ!捨ててよ!」なんて言えなくて、やんわりと誰かに譲ることを提案しても、大丈夫、まだ使うよ〜と。爆発しそうで、いらいらしてしょうがなかった。
数年を経て、「人のテリトリーは不可侵」と心得てからは少し平穏な精神を保てるようになりました。でもそろそろ共有部分にはみ出てるのをなんとかしてほしい…
そんな汚い家が嫌になっているのも私の本当の気持なのですが、何気なく撮った散らかったままの祖母の机がとても美しく思えました。
彼女の好きなものが、使われた当時の息遣いのまま静かに佇んでいる、無二の空気。
(祖母はこのときトイレに行っていました笑)
何度も見返してしまいます。
私の机は大体いつもきれいで、たまにごちゃごちゃしてもすぐ元通りです。
「厳選された」「緊張感のある」と形容されそうな私の机に対して、祖母の机は「日常」「生活」とタイトルを付けたくなるような感じ。
自分の方向性は間違っていないと思うけど、私が大事にしたいことってなんなのだろう。
あと、散らかし方にも才能が必要なのかしら?と思った山鳥なのでした。
なんだか感動したので、明日は祖父母の好物のポンデリングでも買って帰ろうかな。
買って帰るたびに「山鳥ちゃん、あのドーナツ、もっちもっちでおいしいねぇ〜」と言って喜んでくれるので。
冬でも日中の縁側は温室みたいにあたたかいです。ここでのんびりおしゃべりしながらドーナツ食べたいな〜